宮崎駿監督、スタジオジブリ制作による長編アニメーション映画。
「風立ちぬ」
この作品は、実在の航空技術者である堀越二郎がモデルになっており
大正から昭和に移り行く日本を生きる若者、二郎の半生を描いた作品です。
他のジブリ作品とは違い、テーマも少し重く病気や震災なども描かれています。
今回はそんな「風立ちぬ」
最後に菜穂子はどうなったのでしょうか?
本編では曖昧に描かれていたので、今回は菜穂子は最後どうなったのか?
を中心に書いていきたいと思います。
風立ちぬ・菜穂子のその後は?
劇中では曖昧な表現になっていましたが最後は亡くなったと予想できます。
菜穂子のモデルになったのは「風立ちぬ」の原作者である堀辰雄の婚約者の矢野綾子です。
そして、その野暮綾子さんも実際に病気が進行してしまい亡くなったとされています。
そのことから、菜穂子も最後は亡くなってしまったと予想できます。
死因や病気についても
彼女の死因はおそらく結核による病死だと思われます。
しかし、彼女が自殺したという説もネットでは見られました。
自殺だと言われている理由は、菜穂子の行動です。
菜穂子は山の上の病院で療養していましたが、二郎に会いたい気持ちを抑えきれずに病院を抜け出してきましたよね。
二郎は上司の黒川の家の離れに下宿していました。
そこで黒川夫妻を証人とし二人は結婚します。
そして、そのまま下宿先に菜穂子も住むことになりました。
ところが菜穂子の病気は日を重ねるごとに悪化してしまい、ほとんど寝たきりの生活になってしまいます。
二郎は菜穂子のそばにいてあげたかったのですが、完成間近の飛行機設計の仕事で寝るのも惜しまず仕事をしていました。
そして、二郎が作る飛行機が完成し、初飛行が行われる日。
菜穂子は二郎が出社するのを見送り、手紙を置き去っていきます。
この時、病院に戻るのであればバスに乗って駅に向かう必要がありますよね。
しかし彼女は、どこかに向かって歩いて行っていました。
このことから、菜穂子は山の病院に帰るのではなく、自殺するため別の場所に向かったのでは?という説が出たのだと思われます。
この説を初めて見た時に少し悲しいですが、なぜか納得できたような気がしました。
菜穂子はなぜ山に帰ったのか?
そもそも、なぜ菜穂子は山に帰ったのでしょうか?
これは黒川夫人のセリフから予想できます。
「女性として綺麗な部分だけ、愛する人に見てもらいたかったのね」
菜穂子は体調がすぐれない中でも、二郎に心配をかけないように、毎日化粧をして、少しでも顔色がよく見えるように努力してます。
そのことは加代も気がついていましたよね。
加代は「菜穂子さんを傷つけないで!」と二郎に説教をしていました。
菜穂子の周りに登場する人物の中で彼女の努力を二郎だけが気がついておらず、風立ちぬを通し見えてくる二郎の性格は、
自分のやりたいことに熱中し人の話が耳に入らなくなる。
美しいものにしか惹かれない。
それを作中で表していたのは、食事中にサバの骨のカーブの美しさに見惚れてしまったシーン。
そして、二郎の視線の先にはいつも女性がいたりと二郎の性格を表すシーンが所々にでてきます。
そんな彼の側にいる菜穂子、は
「美しくなければ捨てられてしまう」
と不安が生まれたのかもしれません。
これから病気が進行すれば身体は痩せ細り、血を吐きボロボロになってしまいます。
そんな姿を二郎に見せたくないと思い山へ帰ったのではないでしょうか。
まとめ
今回は菜穂子のその後を中心に書いていきました。
本当に「風立ちぬ」は涙なしでは見れない作品です。
菜穂子の二郎に対する思いがこういった形で表現されていたんですね。
書いていてまた悲しくなりました笑
最後までありがとうございました。
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