千と千尋の神隠し・ハクはなぜ弟子?千尋の兄なの?についても

ANIME

2001年に公開された日本の長編アニメーション映画。

『千と千尋の神隠し』

公開から今に至るまで根強い人気のスタジオジブリ作品の「千と千尋の神隠し」

この作品には、多くの都市伝説や噂があります。

今回は、そんな「千と千尋の神隠し」に登場する人気キャラクター。

油屋で働いている色白の謎の美少年。「ハク」に関する謎です。

作中に疑問をもった人も多いのでは無いのでしょうか?

ハクはなぜ湯婆婆(ゆばーば)の弟子になったのか?千尋の兄なのは本当か?

今回は、そんな疑問について調べてみることにしました。

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千と千尋の神隠し・ハクはなぜ弟子?

こちらには公式な設定はありませんが、いくつかの理由があると言われています。

川を復活させる為

ハクが弟子になった理由として考えられる理由の一つが

魔法で川を復活させようとしたのではないか?

というものです。

ハク正体は『小白川』という川の神様という設定になっていますよね?

この小白川が都市開発などのために川が埋められてしまい、小白川がなくなってしまったことで帰る場所を失ったハク。

そんなハクは、魔法の力によって川を復活させようとしたのではないでしょうか?

小白川がなくなってしまってもハクの存在自体は残り,

ハクは川の神様なので、なんとか自身の川を復活させて自分の役目を果たしたかったのではないでしょうか。

上記と同じような理由になりますが、

新たな自身の宿り場所になる川を作りたかった。

とも考えることができますよね。

しかし、その術が分からなかったハクは魔法でどうにかしようと考え

魔法使いになることを選んだのではないでしょうか。

自身が新たに宿れる場所を作れば、人間の世界で神様として戻ることができるのでこの説も十分に考えられますよね。

復讐の為

こんな考え方もできますよね。

「魔法で人間に復讐する為」

しかし、ハクは小白川に落ちた千尋を助けるなど、人間には優しかったのではないか?と推測することができます。

ですが、人間は都市開発のために小白川を埋め立てたりとやりたい放題。

そんな人間達に一泡吹かせようと思ったハクが、魔法の力で人間に復讐しようと考えるのは不自然ではありませんよね。

突如とし自身の宿る小白川を奪われたのですから、ハクには復讐するという選択肢は大いにありえますよね。

千と千尋の神隠し・千尋の兄?

ハクは千尋を助ける為に川に入り死んでしまった兄ではないのか?という説があります。

皆さんは違和感を感じませんでしたか?

映画冒頭、千尋にとことん冷たい母親。

母親が千尋と話す際一切目を合わせて話をしません。

夫とは仲良く話しをしているのに、娘とは目をあわせず、しがみつく娘に「あまりくっつくかないで」と言い放ちます。

映画中盤、魔女の契約印を返す為に帰る事が出来ないと思われる沼の底に行くという千尋に対し

「わからんか、愛だ愛」という釜爺のセリフ

宮崎駿監督が恋愛をこのような語り口でセリフ化する事は、過去作から見てもありえないそうです。

そして、その答えは宮崎駿監督が作詞した幻のテーマ曲「あの日の川で」の歌詞にあります。

「あの日の川で」
陽のさす裏庭から 忘れかけていた木戸をぬけ
生け垣から影おとす道をいく
むこうから走ってくる幼い子はわたし
砂場の足跡をたどって、もっと先へ
いまは 埋もれてしまった川まで

ゴミの間に水草が揺れている
あの小さな川で、私はあなたに出会った
わたしのクツがゆっくり流れていく
小さな渦にまかれて消える
(中略)
誰かのために生きている私
私のために生きててくれた誰か
私はあの日 川に行ったのだ
私はあなたの 川に行ったのだ

この詩で、「誰かのために生きている私、私のために生きてくれた誰か」これがキーワードとなると言われています。

エンディングで靴が渦巻いている時に何かを拾い上げる為に手が入ります。

この手は、ハクの手だと皆さん解釈していましたよね?

しかし、それは半分あってて、半分違い

ここで、ハクは千尋を助ける為に川に入り死んでしまった兄であるという説が出てきます。

千と千尋の神隠し絵コンテ集に

のびていく子供の手が描かれており。
誰の手かは明示しておらず、敢えて子供の手という指定だけ。

これらを踏まえると、母親が千尋に冷たくあたる理由は

兄が死んでしまった理由をつくった千尋に冷たく当たっているのではないのか?

また、劇中でハクのセリフに。
「そなたの小さい時から知っている」
ですが、何故知っているかはハク自身も分かっていません。

そして、幻のテーマ曲。

「私のために生きてくれた誰か」はハクのことを示しており、「誰かのために生きている私」は

千尋がハクの為に命をかけて魔女の契約印を返しに行くシーンに繋がっています。

そのことから、釜爺の言葉は恋愛的な愛を示しているのではなく兄弟愛を語っていたということです。

釜爺が二人が兄弟だったかどうかを知っていたかは分かりませんが、家族愛を感じ放った一言と考えると凄く自然ですよね。

そして、冒頭の夕日のシーン。

日の出ている間に姿が見える神様はいません。

ですが、夕日の油屋の橋で千尋にはハクが見えます。

つまり、ハクは神様にはなりきてれいない存在と考えることができます。

千と千尋の神隠し・Twitter

まとめ

ジブリ関連の記事を結構書きましたが、

ジブリ作品ってどんどん考察や新説が生まれるんですよね。

何度見ても新しい発見があるジブリ作品。

もう一度この説を頭にいれ、

「千と千尋の神隠し」

を観ると新たに感じることがあるかもしれませんね。

最後までありがとうございました。

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