となりのトトロ・いつの時代?モデル地、聖地についても

ANIME

皆さんすでに小さな頃から考えると何度も見た方も多いのではないでしょうか。

そんな今作「となりのトトロ」

田舎へ引っ越してきた草壁一家のサツキ、メイ姉妹と、子どもの時にしか会えないと言われる不思議な生き物・トトロとの交流を描いた作品です。

年一は見るよね。

いつ見ても、あの時代の雰囲気や景色は皆さんをノスタルジックな気持ちにさせているでしょう。

今回は、そんなトトロの時代背景やモデルになった場所などについてまとめてみました。

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となりのトトロ・いつの時代?

今作の時代背景は、昭和30年代初頭とされています。

宮崎駿監督は、1953年を想定して作られたともおっしゃられているようです。

これは、「コクリコ坂から」のパンフレット「企画のための覚書」で、監督自身が「となりのトトロは、1988年に1953年を想定して作られた。TVのない時代である」と語っていることから、とされています。

上記で書いたように宮崎駿監督は今作の時代設定を「テレビのなかった時代」と発言しており、ある特定の決まった年をベースに置いて演出しているわけではないようですね。

・作中のカレンダーには1953年及び1958年の日付

お母さんのお見舞いに行ったシーンにある、6月のカレンダーは、昭和28年。

作中のお父さんの書斎の5月のカレンダーには、「1955」の表記があるため、昭和30年。

電報が届くシーンでは、消印の日付が昭和32年8月11日。

全て基本的には昭和30年台の日付になっていますが、全てバラバラになっています。

これらの年代がバラバラになっているのは、意図的にそうされていると言われています。

適当なんじゃないの?

ちなみに、スタジオジブリ協力のもと製作された2005年の愛・地球博のパビリオン「サツキとメイの家」の公式サイトには「昭和30年代の家」と記載されているようです。(現在はジブリパークにあります。)

となりのトトロ・モデル地、聖地についても

となりのトトロのモデルになっているのは

埼玉県所沢市、狭山丘陵、都立八国山緑地などがモデルとして登場します。

宮崎駿監督は1960年ごろから所沢市に住んでいるようで、その環境が映画制作の大きなきっかけになったようです。

狭山丘陵は埼玉県所沢市・入間市と東京都東村山市など全5市1町にまたがり、「トトロの森」とも呼ばれています。

その狭山丘陵を散策しながら構想を練ったといわれており、物語の中に風景のイメージが大きく反映されていると言われています。

山に帰りたい

他にも、過去に在籍した日本アニメーションのある聖蹟桜ヶ丘。

子供のころに見て育った神田川。

美術監督の男鹿和雄の故郷、秋田などもあの作品内に登場する大自然を表現するうえでのインスピレーションになったようです。

・埼玉県所沢市松郷

所沢市の東部、浦和所沢バイパス松郷交差点付近の地名で、草壁家が住む「松郷」のモデルとなったとされる

所沢市牛沼は松郷に隣接する地区名で、ねこバスに表示される行き先「牛沼」のモデルとなっています。

・狭山丘陵

作中の固有名詞の中には埼玉県所沢市から東京都東村山市にかけて広がる狭山丘陵の地名を元にした「狭山茶」の張り紙をした箱が登場する。

・都立八国山緑地

作中にて登場する「七国山」という地名をモデルとした場所は、都立八国山緑地です。

狭山丘陵の東端に位置しており、園内にはコナラやクヌギなどの雑木林が広がる里山となっています。

・白旗塚

この白旗塚は、メイがトトロを見つけた森「塚森」のモデルになった場所とされています。

となりのトトロ・Twitter

まとめ

今回は「となりのトトロ」の時代や元になった場所について調べてみました。
何度も見ましたが、意外に知らないことが結構あってびっくり。

  • 時代は昭和30年代初頭。
  • モデルとなった場所、埼玉県所沢市。

また見たくなってきたなこれ。

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